クロアチアの首都ザグレブがかなり激しい暴風雨に襲われたというニュースを見ました。手漕ぎボートが湖畔に打ち寄せられていたり、倒れた樹木が電線を切ったり道路を塞いでしまっている場面が映しだされました。
歩道に落ちた小枝や葉っぱを後片付けをしている住人の傍らで道路を塞いでいる太い木をチェーン・ソーで小さくしている消防隊員が大写しで映しだされた後、カメラが引いてゆくと町並みが見渡せるようになりました。
「台風一過」の日差しが燦々と降り注いでおり、空気中のゴミも洗い流されたのでしょう、緑豊かな町並みが見て取れました。人々ものんびりと後片付けをしてました。
日本でも台風の被害で木が倒れたというニュースが流れることがあります。この「倒木による被害を防ぐため」という理由で大きな木がアッと言う間に切り倒されてしまうという話を聞いたことがあります。行政としては倒木被害で住民から訴えられる前に手を打っておこうという思惑があるのかもしれません。
話は逸れますが大阪のコンサート会場近くで落雷被害により亡くなったお嬢さんの両親が主催者を相手取って訴訟を起こしたというニュースが有りました。両親にしたら無念で、その怒りをどこにぶつければよいのか…という気持ちなのだと思います。詳しい状況が分かりませんが『不可抗力』『天災」ということはないのでしょうか。
話を『木を切る」に戻しますが、大きな木の傍にゆくとそれだけで何かに守られているという感覚を持ちます。新緑の頃、紅葉の頃それぞれに見せる葉っぱ一枚一枚の美しさ。人間がどうあがいたって出きっこない自然の美しさです。
木が少ないあるいはあっても小さな木だけの町に暮らしている人々は緑が豊かな町の住人よりもイライラしている度合いが大きいらしいです。それは所得が低いといった要素とも無関係では無さそうです。
一本の木が大きくなるには時間がかかります。だけど切り倒すときは一瞬です。
切り倒される時、木は何を考えるのでしょう?

