2011年9月30日金曜日

醗酵と腐敗


世界には微生物の働きを利用して作られた様々な食品がある。中には北欧のシュールストレミングやクサヤのようにスザマジイ醗酵臭を発するものもあるが、好きな人にとってはこの臭いもたまらない(らしい)。このスザマジイ発酵臭は物が腐ったときに発生する腐敗臭でもある。
醗酵と腐敗は化学的に言えば食品の酸化であって、全く同一のものである。ではどこが違うのか?人間にとって有用なもの・好ましいものを微生物の断りもなく、勝手に醗酵と呼んでいるに過ぎない。

最近「抗菌」が流行っているようである。抗菌は病原菌など微生物の働きを抑えることであるが人間にとって好ましくないバイ菌だけを抑えこむわけではない。
大腸菌はその名のとおり人間の大腸に生息しているが、一種類の菌ではなく本来は大腸菌群と呼ばれ、その殆どは無害であるが、中にはO-157などという凶悪なやつがいて悪さをすることがある。
大腸菌は人間の消化・栄養吸収と密接な関係があるので、もし大腸菌がいなくなってしまったら、生まれたての赤ちゃんの状態となり、ミルクや離乳食のようなものしか消化できなくなってしまう。

どうも日本は大変に清潔な国になりすぎているような気がする。潔癖症が高じてつり革に掴まれない人、夏でも手袋をしている人がいるが、一種の脅迫観念に囚われた神経症なのだろう。
学校のいじめでも「バイ菌」などとよぶらしい。

味噌、醤油、納豆、漬物という日本の伝統的な食品もワイン、チーズ、ビールも微生物を上手く使って「腐らせて」いる。

政治も上手く腐らせれば少しは良くなるのかな?

2011年9月29日木曜日

睡眠


9月29日付けサンケイ新聞記事にこんなのがあった。


親の睡眠不足で子が肥満?

2011.9.29 08:31
 親が十分に睡眠をとっていない場合、子供に睡眠不足や寝坊、食べ過ぎなどの問題が出る傾向があることが、NPO法人「日本ブレインヘルス協会」(東京都千代田区)などでつくる「睡眠改善委員会」の調べで分かった。
 慢性的な不眠ではないが、睡眠に不満を感じる人や睡眠を軽視する人を、委員会では「かくれ不眠」と定義。調査は8月、小学生以上の子供を持つ、かくれ不眠の209人と、快眠できている210人にインターネットで行った。
 それによると、子供の生活について「就寝時間が遅い」は、かくれ不眠41・6%、快眠者19%。「寝坊が多い」は、かくれ不眠16・7%、快眠者7・1%だった。
 また、「食べ過ぎが多い」は、かくれ不眠19・1%、快眠者11・9%。「肥満気味」は、かくれ不眠20・6%、快眠者12・9%-となった。
 委員会では「親の影響で子供も就寝時間が遅くなっていることが寝不足につながる」と分析。親自身が食べ過ぎることで家庭の食事バランスが崩れ、子供が太ることが考えられるといい、親自身の睡眠改善を呼びかけている。

コンビニを始め多くの商業施設では24時間営業が普通に見受けられる。ファミリーレストランの前を真夜中すぎに通って若い夫婦が乳幼児を連れて食事をしているのを見かけたことが何回もある。
小学生低学年のころから勉強に集中できない子が見られるという。
「子どもを連れてファミレスに行くのは私たちの勝手で、どこが悪いの?」という声が聞こえてきそうであるが、自分の子どもが本当に可愛かったら、夕方家でちゃんとした食事を摂り、遅くとも9時過ぎには子供を寝かしつけるあるいは布団に入れることが大切。
ある漢方の先生が「午後10時から午前2時までの4時間はCore Hour(基本時間とでも言うのだろうか)であり、この間睡眠を取っていないと免疫力や体力が落ちる」と言っていた。
「日本は法治国家だから」ここは一つ夜の10時から朝5時まで一切の商業活動を禁止する法律を作ったらどうだろうか?
省エネ・節電にも大きく貢献すると思うのだが。


2011年9月19日月曜日

自殺

今日は気の重い話題です。


JR北海道社長が入水自殺し、北海道知事が「北海道新幹線の新青森-新函館の開業を間近にしながら、共に喜びを分かち合うことができなくなり、誠に残念で、悲しみに堪えない。ご冥福をお祈りする」とコメントした。(9月18日付け産経新聞記事)
死者に鞭打つようなことを言えないからこのようなコメントになったと推測する。


ここ数年日本の自殺者数は毎年3万人を超えているという発表がある。一方で変死者数は15万人であり、その半数が自殺ではないかとみられているという。これは検視官が絶対的に不足しているため、2割程度しか解剖が出来ないためだそうだ。
仮に変死者の半数が自殺だとすると10万人以上が自殺していることになる。


3月に起きた東日本大震災で亡くなられた方と行方不明者は約2万4千人だから「自殺者」だけでこの数字を上回っている。


「自殺」とは自らを殺すことであるから一種の殺人であるが、日本では失敗などの責任を取るためとか、名誉を守るためという事で容認されている。
これはあとに残された家族や会社の同僚のことを全く考えに入れていない考え方である。事実、一家の大黒柱の自殺により一層困窮した家族も沢山ある。


JR北海道社長の遺書にも「真っ先に戦線離脱して済まない」と書いてあったという。
しかし、戦線離脱は軍隊では最も卑怯な行為であり、その影響が広がるのを抑えるため極刑に処した。

「失敗」は誰にでも起きうるものであり、その原因や経過は様々であろう。自殺しようまで思いつめるには相当な時間がかかるだろうし、実際に自殺するためには相当の意志力というエネルギーを必要とする。

人をそこまで追い詰めてしまう理由の一つがセカンド・チャンスを与えない、という社会的な傾向があるのだと思う。

怠惰で失敗した人は面倒くさくて自殺しないだろう。
真面目な人ほど失敗を「重く受け止め」てしまう。




2011年9月12日月曜日

原発は50年先に必ず貢献

経済同友会代表幹事の長谷川氏(武田薬品社長)が「原発は50年先の世界のエネルギー需要に貢献できる」旨の発言をしたという記事が9月4日付け産経ニュースに出ていた。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110905/biz11090515210008-n1.htm

長谷川氏がどのような根拠に基づいてこのような発言をしたのかは僕には知る由もないが、50年先の予測の的確性がどのくらいあるものなのだろうか?
2050年(38年後)の世界人口93億人という予測は誰が出したのだろう。それよりも更に12年先の電力事情をどうやって計算したのだろう。

彼は続けて「NAS電池関連などで50億円の投資を決定した」と述べている。

ある企業が電力会社(ある意味その地域の独占企業で選択の余地はない)から電力を買うのは自家発電よりも安いからだろうと想像するが(あるいは通産省の深慮遠謀で「電力会社から買わなきゃダメ!」と法律で定められてしまっているのかもしれないが)、各企業がそれぞれ自前の発電設備を作る、その費用は償却できるようにしたら、電力不足は相当解決できるのではないだろうか。

全発電量に占める産業用電力の比率がどのくらいかというダータを持っていないが、「塵も積もれば山」ではないだろうか。

僕は理科系の学校で、「安全係数」というものを勉強した。
(1)事故は絶対ゼロにはならない
(2)ただしできるだけゼロに近づける努力はできる
(3)しかし安全率を上げるためにはコストがかかる
(4)従ってどの程度の安全係数を設定するかは慎重にやらなければならない

電力グリッドシステムのような巨大なシステムを構築するには莫大な費用がかかるが、そのシステムが上手く機能しなくなった場合、各企業に自家発電設備があれば補完的役割を担うことが出来る。

少なくとも現状において、50年先の原発の必要性を説くためにはもっとダータの基づいた話をすべきだろうと思う。

2011年9月7日水曜日

法治国家と寛容性

僕の後輩が岡山で植樹をした。が、その後、その木を別の場所に移植したという記事が朝日新聞ネット版に出ていた。
www.asahi.com/national/update/0906/OSK201109060157.html?ref=rss

どうやら岡山市公園協会というところが「都市公園法」に違反したらしい。

そんな法律、何時 誰の了解を得て成立したのだろうか。
日本は法治国家だから法律に則って厳正に云々ということをよく聞く。何かの必然性があって成立した法律ならともかく、「怠慢だ」という誹りを免れるためにでっち上げた法律も多々あるのではないだろうか?

例えば「チャイルド・シート法」
自分の子供の安全を確保するのは親の役目だろうに、わざわざ法律を作る必要性があるのだろうか?

逆の例では赤ちゃんに授乳させるため停車していた車が道交法違反で「逮捕」されたらしい。(最近逮捕される人がものすごく増えてませんか?僕の若い頃はよっぽどのことがなければ逮捕なんてなかった)。理由は駐停車禁止のところで車を停めて授乳させていたからというもの。

法律が出来るのはそれぞれ必要性があってのことだろうけれど、その運用に少し幅があってもいいのではないだろうか。さらに、すべての日本人がすべての法律に知悉しているわけがなく、知らず知らずのうちに違反をしているケースというのは相当なものだろう(僕の憶測ですので、みんながよく知り、理解しているけれど、それでも意識的に違反しているのだと言われてしまえば、ごめんなさいと素直に謝る外、仕方が無いが)。

モーゼがシナイ山で神様から受けた「十戒」の中に「なんじ偽証するなかれ」というのがある。これは通常「嘘をついてはいけませんよ」と解釈されており、どんな嘘もダメと考える人がいる。
が、これの本当の意味は「罪の無い人を陥れる目的で(悪意を持って)証言をしてはならない」ということ。

意識的に違反する人とそうでない人との間にはっきり線を引くべきである。といってもその見極めは難しい。
だとすると、両親、じゃなく、良心に任せること、つまり「嘘を付くことは人間以下になるんだよ」という教育が必要だろう。

僕は人を騙すよりもダマされる方を選ぶ。

Communication #2

コミュニケーションについてもう少し。

コミュニケーションcommunicationの語源はラテン語のcommunioで「相互に参加する、関与する」という意味です。

この語源からcommunity, communism, communique, communionなどの言葉が派生しています。
コミュニティは共同体とか地域社会とか訳されますが、最近はコミュニティ・センターなどそのまま使われるようにもなってきていますね。

コミュニズムは今は殆どの場合、共産主義の意味で使われていますが、本来は地域の皆平等な人達が助けあって、労働し、収穫したものを平等に分け与える、ということを目指したものでした。

コミュニケは皆が同じ情報を共有できるようにするために出される公報です。

コミュニオンは「共生」とか「相互感応」「霊的親交」などというのが本来の意味ですが、同じ信仰・宗教を持つ仲間という意味になりました。
そして(Holy) Communionはカトリック教会の聖体拝領を指します。世界のどの場所にあってもカトリックのミサの内容は同じですし、聖体拝領を受けることによって、皆兄弟・姉妹として霊的に結ばれることになります。

世界平和とは言語や肌の色にかかわりなく、皆が「共通のものを持つこと」と言えると思います。

2011年9月6日火曜日

Communication

オーストラリアにいて日本のニュースを見ていると時々おやっと思う事がある。

今就職をしようとすると大変に難しい、氷河期だと言われている。そのため、面接に成功するためのマニュアル本が飛ぶように売れていて「面接官にこう聞かれたらこのように答えなさい」などということがニュースになっていたりする。
学生は必死になってパターンを覚えこみ面接に望む。面接官としてはどの学生からも同じような答えしか返って来ないので困り果て、対抗手段を講じる。

受験生に「質問をさせる」。

学生は質問されたときの答えはある程度用意しているが、突然なんでも聞いてください、と言われると混乱する。

どの会社でもほしいのはコミュニケートが出来る人間なのだ。

コミュニケーションというのは会話と訳される場合が多いが、「共通認識を創り上げる」「共有する」ということでただ単に言葉のやり取りをするというだけでは十分ではない。
セールスマンが物を売ろうとするとき、「この商品はいいんです、お得です、安くしますから買ってください」などと言っても売れる数は高が知れている。

昔、車のトップ・セールスマンと話をする機会を得たが、車なんてどのメーカーも同じようなものを作っているので車の話だけでは「差」がないのでセールスは成功しない。「差」があるのは個人だから、「自分」を売り込むんだ、と言っていた。

つまりセールスマンとお客との間に共感できるもの、シェアできるものを創り上げられるかどうかということ。

「同じ日本人なんだから分かってくれるだろう」という思い込みが様々なトラブルの原因だ。

このトラブルの解決法の一つは質問することだと思う。

2011年9月3日土曜日

頑張る ー あるいは絶対と相対

3月11日の悲惨な災害から半年。

色々な場面で「頑張れ」という言葉が使われている。頻繁に耳にし、皆が使っているので「頑張る」ことの意味を理解しているように錯覚している事に気づいた。

「東北頑張れ!」というキャッチフレーズがあちこちに見受けられる。これを僕なりに解釈して見ると「東北地方で災害に遭われた方、色々大変でしょうが、そのうち良いことが有りますよ。それまで気落ちしないでいて下さい。」というようなことになるのだろうか。

このような発信をしている人たちは勿論善意で言っているし、言ったことで何か貢献したような気になっているのだろう。

先日NHKニュースを見ていたら「頑張れ、と言われることが一番辛い。何をどう頑張れというのか。」というおじいさんがいた。

善意で言っている人たちと受け手との大きなギャップ。善意で言っているだけに始末が悪い。言っている人たちはもしかしたら大きな思い違いをしているのではないだろうか?
受け手の人の立場になって考えてみたら、もう少し違った表現になるかもしれない。

話は少し飛ぶが、絶対と相対ということについて考えてみたい。数学の始めのころ、ゼロを基準にして色々なものを説明すると分かりやすくなるということを習った。自分のお金が+ならば使えるお金があるということだし、ーであれば借金をしていることになる。摂氏ゼロは水が凍り始める(あるいは氷が溶け始める)温度。

相対というのはA点からB点までの距離。どのくらい隔たっているかを表す。

いま、日本では相対が幅を効かせ、絶対は隅で小さくなっているような気がする。

「頑張れ」というのは残りあと何キロだからとか、何分だからとかという基準があって初めて効果を表す。

「皆頑張っているんだからあなたも頑張りなさい」といわれると違和感を感じるのは僕だけだろうか。