2011年12月14日水曜日

自然 不自然 超自然

オーストラリアも日本と同じような島国で、四方を海に囲まれている。が、あまり高い山が無い(ニュー・サウス・ウェールズ邦にあるコジアスコ山Mount Kosciuszkoが 2228mで最高峰)ため、雪解け水の量が少ない。
海岸線に沿って100kmほどの巾の内陸部は比較的緑が豊かであるがそれよりも奥に入ると小さな木しか生えていない。


さらにその奥になると乾燥地帯になる。ニュー・サウス・ウェールズ邦の南西部にあるMungo邦立公園はまるで火星のような(行ったことはないけれど)風景が広がる。(http://www.visitmungo.com.au/

日本の20倍の国土に2千万人の人口しかいないので大都市とその周辺を除き、自然が広がる。
当地ではブッシュ・ファイアと呼ばれる「森林火災」が毎年どこかで発生するが、その範囲があまりにも広大なので人家に近くなるまで手を拱いているケースもある。
日本にいたとき「豪州の山火事が三週間燃え続けています」などというニュースを聞いて、早く消せばいいじゃんなどと思ったが燃えているところまで消防車が入っていけない。

この国は自然に囲まれて生活しており、自然と折り合いをつけて暮らしている。都会での不自然な生活に疲れるとキャンプや釣りに出掛け、英気を養って帰ってくる。

大きな木に囲まれていると、人間の存在の小ささ、自然の大きさ、そしてこの自然を創られた「超自然的な存在」を感ずる。

便利で楽しい都会の生活を少し離れて自然の中に浸ってみること。疲れた都会人には必要なことだと思う。

2011年12月9日金曜日

心に染みる または耳が痛い 言葉

先日出会った言葉です。

頭で考えただけで何もやらず「出来ない」と決めつけていると物事の本質を見失い、進むべき道を誤る。


これはあるリンゴ農家の方の言葉です。お名前を失念してしまいましたが、心に訴えかけてきます。

何かをやるとき、成功する確率が50%かそれ以下のこともあるでしょう。

僕が会社務めをしていたとき、新規事業で経理担当常務と話をしたことがありますが彼は「100%安全でなければその商売をやってはいけない」と言い始め、あわや頓挫しかけたことがありました。それで「やった場合の利益と危険率」を有る意味デッチ上げ決裁をもらったことがあります。
その仕事は実際には何の事故もなくある程度利益貢献をしました。

もしこの時やっていなかったら?他の会社がやっていたのだと思います。

上に掲げた言葉を今の政治家に熟読玩味してもらいたいものです。

2011年12月7日水曜日

聖夜・待降節・聖林

読売新聞の見出しに「赤い宝石、聖夜待ちスクスク」
(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111206-OYT1T00951.htm?from=rss&ref=rssad)というのがあった。奈良県の農家がイチゴを大事に育てているという記事だ。
見出しだからできるだけ短くする必要が有るのだけれど久しぶりに「聖夜」という文字を見た。

ところで今は「待降節」中である。待降節と言っても知らない方が多いと思うが、クリスマスの四週間前の日曜日(今年は11月27日だった)からスタートしてイエズス・キリストがお生まれになるのを待ち望む、準備期間であり、カトリックの暦ではこの日(英語ではAdvent Sundayという)が新しい年の始まりとなる。

Adventはラテン語のad+ventから成り英語のto comeに相当する。この期間子供たちもキリストが来られるのを待ち望むようにと、北欧などでは古くからアドベント・カレンダーが作られてきた。
http://allabout.co.jp/aa/special/xmas/contents/10011/220728/

最近では日本でも見かけるようになったようだが、毎日一つずつ扉を開けて何が出てくるかという楽しみがある。
日本の「もういくつ寝るとお正月」と似通っている。

アドベント・キャンドルというのもあって、4本のロウソクに順番に火を灯してゆく。これもキリストの降誕を待ち望むことの「見える化」である。

最後に。
アメリカ・カリフォルニア州のハリウッドはかつて「聖林」と書かれることがあった。ご存じの方も多いと思うが綴りはHollywoodでLが一つ多く、これを誰かがHoly-woodと勘違いしたのだそうだ。
でもhollyはヒイラギの事でクリスマス・リースにも多用されているのであながち間違いではないかもしれない。

2011年12月3日土曜日

タブレット

iPhoneとiPodを持っていて、外出時に音楽を聞いたり、eメールを読んだり、連絡先を調べることが出来たりとそれなりに重宝はしている。
ただ新聞や電子ブックを読むときに画面が小さくて閉口することが多かった。
iPad/iPad2が発売されたが価格が高くて買うのに躊躇していた。その内アマゾンからKindleが発売されたが書籍を読むだけの特化されているという点が気になって、コレも買うのをためらっていた。

話は一寸変わるけど僕は20年以上パソコンはマッキントッシュを使ってきた。その理由は幾つかあるけど長くなるから別の機会に書く。マック繋がりでiPhoneとiPodを購入して来たけれど、一ヶ月ほど前メルボルンにあるJ B Hi-Fiという日本で言えばヨドバシカメラのようなお店に行ったらアンドロイド携帯が「特価125ドル」(邦貨約一万円)で売られていたので面白半分に買ってみた。OSはアンドロイド2.2とほぼ最新のもの。TelStraというキャリアーにSIMロックされているがアンドロイド2.3にバージョンアップするとロックが外れるらしい。(ただバージョンアップにはWindows PCが必要なのでまだしていない。)
で、この携帯に日本語入力アプリを入れると直ぐに日本語環境になってしまった。

それから数週間後再びJ B Hi-Fiに行ったらモトローラのXOOM(MZ604 Android OS 3.2 32GB SSD)が392ドル(邦貨約31400円)とiPad2 32GB の689ドル(邦貨約55120円)の約半値で売っていた。(家に帰ってきてよく見たら568ドルのステッカーが貼ってあった。)このXOOMも簡単に日本語環境にすることができたので新聞や電子書籍を大きな画面で読めるようになって大満足。さらにこのXOOM、32GBのmicroSDも使えるのでダウンロードした映画を何本も入れて持ち運びができる。

1月に日本に行くとき、往復の飛行機の中で退屈しなくて済む。



蛇足)メルボルンのCOSTCOへ行ったら350ドルで売ってた。


2011年11月25日金曜日

Six Degree of Separation

全く知らない人同士の二人を結びつける友達の友達は平均すると5.2人であるから6段階経ればつながるという理論があった。

ご存じの方も多いと思うが米国で行われた実験ではボストンに住む人宛の小包を米国の様々な都市に住むランダムに選んだ人に渡して「この人なら届けられるだろうという人に渡してください」と頼んだ。すると平均5.2人の手を経ると届くことが分かったというもの。

が、最近のFacebookの研究ではこれが平均で4.74人となるらしい。これは確率99.6%の場合であって、この確率を92%まで下げると4段階になるという。
(詳しくは http://japan.cnet.com/news/society/35010973/?tag=as.rss)

人はどこかで繋がっているのだから「赤の他人」と思わず、親切にしておいたほうが良いよ
 という事なのでしょう。


2011年11月4日金曜日

中国人気質

何一日前の新聞記事に「中国のある都市で車に轢かれた女の子がいても誰も助けなかった」というのがあった。

似たような話を聞いたが、それは車に轢かれた人を助け病院に連れていった所、あとで被害者の家族から法外な賠償金を請求された、というものであった。理由は轢いた奴はどこへ逝ったか分からないが、取り敢えず居場所が分かっている「良きサマリア人」に請求をした、ということらしい。

ラルフ・タウンゼンドという米国外交官が1933年に出したWays that are Darkという本があるらしい。これは中国人の気質について書かれた本である。

その概略を記したものがあったので、興味のある方はご覧になってください。

www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/ankoku_tairiku.htm


2011年9月30日金曜日

醗酵と腐敗


世界には微生物の働きを利用して作られた様々な食品がある。中には北欧のシュールストレミングやクサヤのようにスザマジイ醗酵臭を発するものもあるが、好きな人にとってはこの臭いもたまらない(らしい)。このスザマジイ発酵臭は物が腐ったときに発生する腐敗臭でもある。
醗酵と腐敗は化学的に言えば食品の酸化であって、全く同一のものである。ではどこが違うのか?人間にとって有用なもの・好ましいものを微生物の断りもなく、勝手に醗酵と呼んでいるに過ぎない。

最近「抗菌」が流行っているようである。抗菌は病原菌など微生物の働きを抑えることであるが人間にとって好ましくないバイ菌だけを抑えこむわけではない。
大腸菌はその名のとおり人間の大腸に生息しているが、一種類の菌ではなく本来は大腸菌群と呼ばれ、その殆どは無害であるが、中にはO-157などという凶悪なやつがいて悪さをすることがある。
大腸菌は人間の消化・栄養吸収と密接な関係があるので、もし大腸菌がいなくなってしまったら、生まれたての赤ちゃんの状態となり、ミルクや離乳食のようなものしか消化できなくなってしまう。

どうも日本は大変に清潔な国になりすぎているような気がする。潔癖症が高じてつり革に掴まれない人、夏でも手袋をしている人がいるが、一種の脅迫観念に囚われた神経症なのだろう。
学校のいじめでも「バイ菌」などとよぶらしい。

味噌、醤油、納豆、漬物という日本の伝統的な食品もワイン、チーズ、ビールも微生物を上手く使って「腐らせて」いる。

政治も上手く腐らせれば少しは良くなるのかな?

2011年9月29日木曜日

睡眠


9月29日付けサンケイ新聞記事にこんなのがあった。


親の睡眠不足で子が肥満?

2011.9.29 08:31
 親が十分に睡眠をとっていない場合、子供に睡眠不足や寝坊、食べ過ぎなどの問題が出る傾向があることが、NPO法人「日本ブレインヘルス協会」(東京都千代田区)などでつくる「睡眠改善委員会」の調べで分かった。
 慢性的な不眠ではないが、睡眠に不満を感じる人や睡眠を軽視する人を、委員会では「かくれ不眠」と定義。調査は8月、小学生以上の子供を持つ、かくれ不眠の209人と、快眠できている210人にインターネットで行った。
 それによると、子供の生活について「就寝時間が遅い」は、かくれ不眠41・6%、快眠者19%。「寝坊が多い」は、かくれ不眠16・7%、快眠者7・1%だった。
 また、「食べ過ぎが多い」は、かくれ不眠19・1%、快眠者11・9%。「肥満気味」は、かくれ不眠20・6%、快眠者12・9%-となった。
 委員会では「親の影響で子供も就寝時間が遅くなっていることが寝不足につながる」と分析。親自身が食べ過ぎることで家庭の食事バランスが崩れ、子供が太ることが考えられるといい、親自身の睡眠改善を呼びかけている。

コンビニを始め多くの商業施設では24時間営業が普通に見受けられる。ファミリーレストランの前を真夜中すぎに通って若い夫婦が乳幼児を連れて食事をしているのを見かけたことが何回もある。
小学生低学年のころから勉強に集中できない子が見られるという。
「子どもを連れてファミレスに行くのは私たちの勝手で、どこが悪いの?」という声が聞こえてきそうであるが、自分の子どもが本当に可愛かったら、夕方家でちゃんとした食事を摂り、遅くとも9時過ぎには子供を寝かしつけるあるいは布団に入れることが大切。
ある漢方の先生が「午後10時から午前2時までの4時間はCore Hour(基本時間とでも言うのだろうか)であり、この間睡眠を取っていないと免疫力や体力が落ちる」と言っていた。
「日本は法治国家だから」ここは一つ夜の10時から朝5時まで一切の商業活動を禁止する法律を作ったらどうだろうか?
省エネ・節電にも大きく貢献すると思うのだが。


2011年9月19日月曜日

自殺

今日は気の重い話題です。


JR北海道社長が入水自殺し、北海道知事が「北海道新幹線の新青森-新函館の開業を間近にしながら、共に喜びを分かち合うことができなくなり、誠に残念で、悲しみに堪えない。ご冥福をお祈りする」とコメントした。(9月18日付け産経新聞記事)
死者に鞭打つようなことを言えないからこのようなコメントになったと推測する。


ここ数年日本の自殺者数は毎年3万人を超えているという発表がある。一方で変死者数は15万人であり、その半数が自殺ではないかとみられているという。これは検視官が絶対的に不足しているため、2割程度しか解剖が出来ないためだそうだ。
仮に変死者の半数が自殺だとすると10万人以上が自殺していることになる。


3月に起きた東日本大震災で亡くなられた方と行方不明者は約2万4千人だから「自殺者」だけでこの数字を上回っている。


「自殺」とは自らを殺すことであるから一種の殺人であるが、日本では失敗などの責任を取るためとか、名誉を守るためという事で容認されている。
これはあとに残された家族や会社の同僚のことを全く考えに入れていない考え方である。事実、一家の大黒柱の自殺により一層困窮した家族も沢山ある。


JR北海道社長の遺書にも「真っ先に戦線離脱して済まない」と書いてあったという。
しかし、戦線離脱は軍隊では最も卑怯な行為であり、その影響が広がるのを抑えるため極刑に処した。

「失敗」は誰にでも起きうるものであり、その原因や経過は様々であろう。自殺しようまで思いつめるには相当な時間がかかるだろうし、実際に自殺するためには相当の意志力というエネルギーを必要とする。

人をそこまで追い詰めてしまう理由の一つがセカンド・チャンスを与えない、という社会的な傾向があるのだと思う。

怠惰で失敗した人は面倒くさくて自殺しないだろう。
真面目な人ほど失敗を「重く受け止め」てしまう。




2011年9月12日月曜日

原発は50年先に必ず貢献

経済同友会代表幹事の長谷川氏(武田薬品社長)が「原発は50年先の世界のエネルギー需要に貢献できる」旨の発言をしたという記事が9月4日付け産経ニュースに出ていた。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110905/biz11090515210008-n1.htm

長谷川氏がどのような根拠に基づいてこのような発言をしたのかは僕には知る由もないが、50年先の予測の的確性がどのくらいあるものなのだろうか?
2050年(38年後)の世界人口93億人という予測は誰が出したのだろう。それよりも更に12年先の電力事情をどうやって計算したのだろう。

彼は続けて「NAS電池関連などで50億円の投資を決定した」と述べている。

ある企業が電力会社(ある意味その地域の独占企業で選択の余地はない)から電力を買うのは自家発電よりも安いからだろうと想像するが(あるいは通産省の深慮遠謀で「電力会社から買わなきゃダメ!」と法律で定められてしまっているのかもしれないが)、各企業がそれぞれ自前の発電設備を作る、その費用は償却できるようにしたら、電力不足は相当解決できるのではないだろうか。

全発電量に占める産業用電力の比率がどのくらいかというダータを持っていないが、「塵も積もれば山」ではないだろうか。

僕は理科系の学校で、「安全係数」というものを勉強した。
(1)事故は絶対ゼロにはならない
(2)ただしできるだけゼロに近づける努力はできる
(3)しかし安全率を上げるためにはコストがかかる
(4)従ってどの程度の安全係数を設定するかは慎重にやらなければならない

電力グリッドシステムのような巨大なシステムを構築するには莫大な費用がかかるが、そのシステムが上手く機能しなくなった場合、各企業に自家発電設備があれば補完的役割を担うことが出来る。

少なくとも現状において、50年先の原発の必要性を説くためにはもっとダータの基づいた話をすべきだろうと思う。

2011年9月7日水曜日

法治国家と寛容性

僕の後輩が岡山で植樹をした。が、その後、その木を別の場所に移植したという記事が朝日新聞ネット版に出ていた。
www.asahi.com/national/update/0906/OSK201109060157.html?ref=rss

どうやら岡山市公園協会というところが「都市公園法」に違反したらしい。

そんな法律、何時 誰の了解を得て成立したのだろうか。
日本は法治国家だから法律に則って厳正に云々ということをよく聞く。何かの必然性があって成立した法律ならともかく、「怠慢だ」という誹りを免れるためにでっち上げた法律も多々あるのではないだろうか?

例えば「チャイルド・シート法」
自分の子供の安全を確保するのは親の役目だろうに、わざわざ法律を作る必要性があるのだろうか?

逆の例では赤ちゃんに授乳させるため停車していた車が道交法違反で「逮捕」されたらしい。(最近逮捕される人がものすごく増えてませんか?僕の若い頃はよっぽどのことがなければ逮捕なんてなかった)。理由は駐停車禁止のところで車を停めて授乳させていたからというもの。

法律が出来るのはそれぞれ必要性があってのことだろうけれど、その運用に少し幅があってもいいのではないだろうか。さらに、すべての日本人がすべての法律に知悉しているわけがなく、知らず知らずのうちに違反をしているケースというのは相当なものだろう(僕の憶測ですので、みんながよく知り、理解しているけれど、それでも意識的に違反しているのだと言われてしまえば、ごめんなさいと素直に謝る外、仕方が無いが)。

モーゼがシナイ山で神様から受けた「十戒」の中に「なんじ偽証するなかれ」というのがある。これは通常「嘘をついてはいけませんよ」と解釈されており、どんな嘘もダメと考える人がいる。
が、これの本当の意味は「罪の無い人を陥れる目的で(悪意を持って)証言をしてはならない」ということ。

意識的に違反する人とそうでない人との間にはっきり線を引くべきである。といってもその見極めは難しい。
だとすると、両親、じゃなく、良心に任せること、つまり「嘘を付くことは人間以下になるんだよ」という教育が必要だろう。

僕は人を騙すよりもダマされる方を選ぶ。

Communication #2

コミュニケーションについてもう少し。

コミュニケーションcommunicationの語源はラテン語のcommunioで「相互に参加する、関与する」という意味です。

この語源からcommunity, communism, communique, communionなどの言葉が派生しています。
コミュニティは共同体とか地域社会とか訳されますが、最近はコミュニティ・センターなどそのまま使われるようにもなってきていますね。

コミュニズムは今は殆どの場合、共産主義の意味で使われていますが、本来は地域の皆平等な人達が助けあって、労働し、収穫したものを平等に分け与える、ということを目指したものでした。

コミュニケは皆が同じ情報を共有できるようにするために出される公報です。

コミュニオンは「共生」とか「相互感応」「霊的親交」などというのが本来の意味ですが、同じ信仰・宗教を持つ仲間という意味になりました。
そして(Holy) Communionはカトリック教会の聖体拝領を指します。世界のどの場所にあってもカトリックのミサの内容は同じですし、聖体拝領を受けることによって、皆兄弟・姉妹として霊的に結ばれることになります。

世界平和とは言語や肌の色にかかわりなく、皆が「共通のものを持つこと」と言えると思います。

2011年9月6日火曜日

Communication

オーストラリアにいて日本のニュースを見ていると時々おやっと思う事がある。

今就職をしようとすると大変に難しい、氷河期だと言われている。そのため、面接に成功するためのマニュアル本が飛ぶように売れていて「面接官にこう聞かれたらこのように答えなさい」などということがニュースになっていたりする。
学生は必死になってパターンを覚えこみ面接に望む。面接官としてはどの学生からも同じような答えしか返って来ないので困り果て、対抗手段を講じる。

受験生に「質問をさせる」。

学生は質問されたときの答えはある程度用意しているが、突然なんでも聞いてください、と言われると混乱する。

どの会社でもほしいのはコミュニケートが出来る人間なのだ。

コミュニケーションというのは会話と訳される場合が多いが、「共通認識を創り上げる」「共有する」ということでただ単に言葉のやり取りをするというだけでは十分ではない。
セールスマンが物を売ろうとするとき、「この商品はいいんです、お得です、安くしますから買ってください」などと言っても売れる数は高が知れている。

昔、車のトップ・セールスマンと話をする機会を得たが、車なんてどのメーカーも同じようなものを作っているので車の話だけでは「差」がないのでセールスは成功しない。「差」があるのは個人だから、「自分」を売り込むんだ、と言っていた。

つまりセールスマンとお客との間に共感できるもの、シェアできるものを創り上げられるかどうかということ。

「同じ日本人なんだから分かってくれるだろう」という思い込みが様々なトラブルの原因だ。

このトラブルの解決法の一つは質問することだと思う。

2011年9月3日土曜日

頑張る ー あるいは絶対と相対

3月11日の悲惨な災害から半年。

色々な場面で「頑張れ」という言葉が使われている。頻繁に耳にし、皆が使っているので「頑張る」ことの意味を理解しているように錯覚している事に気づいた。

「東北頑張れ!」というキャッチフレーズがあちこちに見受けられる。これを僕なりに解釈して見ると「東北地方で災害に遭われた方、色々大変でしょうが、そのうち良いことが有りますよ。それまで気落ちしないでいて下さい。」というようなことになるのだろうか。

このような発信をしている人たちは勿論善意で言っているし、言ったことで何か貢献したような気になっているのだろう。

先日NHKニュースを見ていたら「頑張れ、と言われることが一番辛い。何をどう頑張れというのか。」というおじいさんがいた。

善意で言っている人たちと受け手との大きなギャップ。善意で言っているだけに始末が悪い。言っている人たちはもしかしたら大きな思い違いをしているのではないだろうか?
受け手の人の立場になって考えてみたら、もう少し違った表現になるかもしれない。

話は少し飛ぶが、絶対と相対ということについて考えてみたい。数学の始めのころ、ゼロを基準にして色々なものを説明すると分かりやすくなるということを習った。自分のお金が+ならば使えるお金があるということだし、ーであれば借金をしていることになる。摂氏ゼロは水が凍り始める(あるいは氷が溶け始める)温度。

相対というのはA点からB点までの距離。どのくらい隔たっているかを表す。

いま、日本では相対が幅を効かせ、絶対は隅で小さくなっているような気がする。

「頑張れ」というのは残りあと何キロだからとか、何分だからとかという基準があって初めて効果を表す。

「皆頑張っているんだからあなたも頑張りなさい」といわれると違和感を感じるのは僕だけだろうか。




2011年8月30日火曜日

公平・不公平 あるいは 平等・不平等

世の中には常に不平や不満を言っている人がいる。自分だけなぜ?とかあの人が羨ましいだとか言い続けている人がいる。

自分に無い物を欲しがる、あるいはねだることによってそのものが手に入るのだろうか?

このような人にとって平等あるいは公平というのはどういう状態を指すのだろうか?

仮にみんなが同じ顔つき、同じ体格、同じ性格等々であったとしたら、非常につまらない世界になってしまうだろう。個性なんていうものも取りざたされない。

与えられた物・資質・容貌などは変えることが出来ないのだから、変えようとするだけ無駄である。

「吾唯足るを知る」という言葉が古いお寺の蹲踞に彫られているそうで、禅の教えの一つだそうだ。

人生ゲームというゲームがあり、配られた手を使ってどうにか「上がり」に持って行く。時には悪い手が配られるかもしれず、それでも知恵を絞って少しでも高い点に持って行く努力をする。

ゲームでそれをする人が実際の生活の中では文句を言うのは何故なんだろうか?


2011年8月19日金曜日

イラクとアラビア

いま戦禍が絶えないイラクですが、数千年前いわゆるメソポタミア文明が栄えたことは皆さんご承知の通りです。

どうしてあのような砂漠地帯に文化が栄えたのか不思議に思いました。
メソ・ポタミアのメソは「間」という意味だそうで音楽のメゾソプラノのメゾと同じなんだそうです(ソプラノとアルトの中間だから)。
ティグリス河とユーフラテス河に挟まれた一帯を指し、かつては緑豊かな場所で、小麦が最初に栽培されたと言われてます。
その後、何らかの原因で川が古代都市から離れたところを流れるようになってしまったため人々はその都市を捨てざるを得なくなったんだそうです。

アラビアも現在はほとんどが砂漠地帯ですが、数千年前は緑豊かな土地であったそうです。ヘブル語(古代ヘブライ語)でアラビアというのは緑草地帯という意味なのだそうです。

旧約聖書に「モーゼがエジプトからイスラエルの民を救い出した後40年間さまよった」という話があり、どうやったら40年間も砂漠をさまよえるのかと思いましたが、その当時は草があったので羊などを飼育できたのかなと想像を逞しくしています。

水がないと人間だけでなくあらゆる生物が生きてゆけなくなります。雨が降り、水が豊かだと言われている日本ですが、その水を今、大切にしないと何年化後には大変なことになってしまうのではないかと思います。

同様に日々の生活の中でも「潤い」を大切にしたいものですね。

2011年8月12日金曜日

ビール・アワーとBeer O'clock

いま、日本は猛暑だそうで、熱中症(我々の若い頃は日射病と言っておったもんだが…)で倒れる人が続出とか。

ある雑誌の記事を見ていたら、普通の缶ビールの泡をきめ細かくさせる道具が出たそうだ。その名も『ビール・アワー』というもので、羽根で細かい泡を作り出すモノの様。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20110805/1037148/?rss

値段は1995円とビミョーな価格設定になっているが、おいしいビールが飲めるのであれば痛くは無いか。


アワーは泡のことだと思うが、最初に見たときはhourだと勘違いしてしまった。

オーストラリアにはタイトルに書いたようにBeer O'clockという表現があり、ビール摂取開始時間といったような意味で使われる。
男が二人以上集まると誰かが "It's beer o'clock," とか言い始め、ビールが注がれる。

こっちの男どものビール消費量は半端ではなく、両足を50cm離し、左手にビールを掴んで(手が冷たくならないように保護するカバーも売っている)上半身をやや後ろに逸らし、延々と、殆どつまみも無しに飲み続ける。

それに付き合う日本人は頻繁にトイレに通うこととなる。
たまったもんではない。



2011年8月2日火曜日

ソマリア飢饉

日本の新聞ではほとんど報道されていないようですが、ソマリアでは大変な飢饉が起こっており、一部はケニアに逃れているようです。
『ソマリア飢饉』で検索してみてください。

日本も地震・津波・原発事故で大変だと思いますが、ソマリアの人たちを今助けなかったら、いつか日本の食糧事情が大変な状況になったとき誰も助けなくなってしまうと思います。

皆さんの手で日本政府や外務省に対して日本としての援助をするよう、働きかけませんか?

ご参考までに国連難民高等弁務官事務所のページは
http://www.unhcr.or.jp/html/2011/07/ws110725.html
です。

2011年7月31日日曜日

クリスマスローズ

オーストラリアの暦ではまだ冬(6月1日から8月31日までが正式な冬と決まってます。
誰が何時、どうやって決めたのかは質問しないでください)ですが、メルボルンでもここ数日寒さが緩んで少し暖かい日が続いています。

家の庭にもその兆しが現れ、クリスマス・ローズが咲き始めました。




この家に引っ越してきて間もないころですからかれこれ10年以上経つのですがある人が、家の花を見て、「めったに生えていない珍しい花なんだから大切にしなさい」と言ってくれました。

で、女房も私も可能なかぎり大切にしてましたが、気がつくと庭のここにもある、あそこにもある。そのため我が家では『ココちゃん』と呼んでます。クリスマスローズという名前があるのは大分時が経ってからでした。

ある時調べたら金鳳花の仲間だということが分かりましたが、大分違いますよね。

2011年7月29日金曜日

メモリー増設

20数年にわたってマッキントッシュ社のコンピューターを使い続けている。
日本からオーストラリアに転勤になったとき、当時流行っていたNEC PC98シリーズを持っていたのでそれを持ち込もうとしたのだが、ソフトウェアがNEC版DOSで書かれていたためバージョンアップから何から全部日本で買って送ってもらわなければならないということが分かった。

で、いろいろ調べた結果、マックであればあの当時日本語専用アプリケーションはともかく英語のアプリケーションは容易に入手可能出ることが分かった。
シドニーで買ったのはマック・プラスという一体型のものだった。
その後、OSは進化を続け、いろいろな言語をインストールすることが可能になり、アプリケーションも言語に依存しないものが多く出てきた。

で、今我が家にはPower Mac G5という数年前のモデルと昨年出たMac miniがあり、奥さんはG5でもっぱらメールのやり取りをしており、僕はミニに大型テレビをHDMIケーブルで繋ぎ、Apple key boardをbluetooth経由で使っている。

このミニのメモリーは2GBしかなく、複数のアプリケーションを使うとスピードが落ちてしまう。
新聞広告を見ていたらPC3-8500 4GB 2枚組がなんとA$75で売られていた。早速買ってきて、今さっき増設が完了、といっても古い2枚を外して新しい2枚を差し込んだだけなんだけど。

今こうしてブログを書いていても変換スピードは落ちず、快適である。

8GBが6400円足らずで買える。メモリーも安くなったもんだ。

2011年7月26日火曜日

焚き火

ここん所メルボルンの天気は「順調に」晴れのち曇りのち雨を繰り返していて、散歩は勿論外出が億劫になってしまう。

昨晩はそう寒くはなかったんだけど、数年前に切った木の枝がずいぶんと枯れてきたので、久しぶりに暖炉に火を入れた。

昨日はいわばテストランだったのでそう太い木は入れなかったが、かなり良く燃え盛ってくれた。

木の燃える匂い、爆ぜる音、揺らめく炎…。


誰かが言ってたけど人間のDNAには火を敬うものが刷り込まれているんだそうだ。だから火を見ていると何かホッとする。

ホットウィスキーが飲みたくなってきた。

2011年7月25日月曜日

歩車分離式信号機 増設

2011年7月24日付け読売新聞記事に「歩車分離式信号機を増やす」というのが出ていた。


 交通事故死が減少する一方で、歩行者の交通死者が増えている。
 警察庁によると、昨年の交通死者数は、10年連続減少の4863人。今年も1~5月は1778人(前年同期比42人減)に減った。しかし、歩行者は677人(同29人増)で、全体の38・1%(同2・5ポイント増)を占める。
 歩行者の事故防止対策は、ドライバーと違って安全講習などの機会が少ないため、各地の警察が頭を悩ませてきた。
 警察庁は6月、今後4年間で全国に歩車分離式信号2855基を新設し、2014年度末には計8389基(設置率4・16%)とする計画を決定。(1)信号の更新・新設時に必ず導入を検討(2)渋滞を避けるため交通量調査などを徹底したうえで、積極的に導入――との方針を全国の警察本部に指示した。
 大阪では、歩行者や自転車の信号無視が原因で起きた死亡事故の割合が全体の7・9%(全国平均3・8%)と高い。府警幹部は「『いらち』の府民性が影響しているのでは」とみる。
 このため、府警は、歩車分離式信号の増設に加え、約90か所で信号が変わるサイクルを速くした。また、交差点数十か所に事故を記録するカメラを新設することも検討している。

オーストラリアの信号機はサイクルが日本のに比べ短い。ただ日本と大きく違うのは三方向を止め、一方向しか流さないこと。直進は勿論、右折、左折が楽に行えるし、サイクルが比較的短いので次の信号を待とうという気にもなる。

又、歩行者保護のルールが徹底していて、横断歩道では車に停止義務がある。日本でも停止義務があるのだと思うが余り徹底されていないような気がする。

数年前銀座で横断歩道を渡っているときに突っ込んできた車があったのでケンカしたことがある。その時は屈強な友人が3人一緒だったので、運転手は捨てぜりふを吐いて逃げてったけど、一人だったら危なかったかもしれない。

歩行者保護という観点からするとまだ日本は遅れているのかなと思う。

2011年7月23日土曜日

毎日新聞の記事

今日の毎日新聞に載ってたニュース(?)


殺人未遂:「テレビの音でトラブル」 夫刺した疑い…大阪

 23日午前0時45分ごろ、大阪府高石市取石7、片山清さん(59)方から「夫を刺した」と110番があった。府警高石署員が現場に駆け付けたところ、片山さんが胸を2カ所刺されており、室内にいた妻の松子容疑者(60)が包丁で刺したことを認めたため、殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。
 高石署によると、松子容疑者は「別の部屋で寝ていた夫に『テレビの音がうるさい』と言われ、トラブルになった。台所にあった包丁3本を束ねて刺した」と話しているという。清さんは病院に救急搬送され、治療を受けている。松子容疑者も右手指2カ所に軽傷。今後、詳しい状況について調べていく。
妻がこのニュースを教えてくれたんだけど、夫である僕の反応は
『差し所が悪かったんじゃない?』
『三本束ねてるのにどうして胸が二箇所だけ刺されてるの?』
というものだった。
今後詳しい状況が分かったら毎日新聞には是非教えて欲しいものだ。

2011年7月22日金曜日

ブログのタイトルを変えました

今まで使っていた「墨爾本(メルボルン)便り」というのから「オーストラリア・メルボルンから」というのに変更しました。

墨爾本というのは中国語の表記でメルボルンの中華街などを歩いているとしょっちゅう目にするので面白半分に使ってました。

因みに「雪梨」と書いてシドニーと読みます。想像するに発音はシーニーなんでしょうね。オージーたちが発音するSydneyはdが殆ど聞こえませんからシ・ド・ニーというよりもシーニーのほうが近いかもしれません。

話は逸れますが、中国の人(あるいは広く東南アジアの人々)の英語の発音を聞いていると語尾が脱落することが多いようです。
従って現在なのか過去なのか、あるいは単数なのか複数なのかが判然としないことがママあります。

にもかかわらず、東南アジアの人々はたくましく英語を使って生活しています。場合によってはピジン語と呼ばれる独特の語法の英語を使います。
良く例に出されるのは Long time no see というやつでそのまま「ずいぶん長い間会わなかったね」という意味です。これが逆に(ほとんど冗談のようにしてではありますが)オージーが使っていたりします。

だんだん何を書いているのか分からなくなってきたので、ここらで止めます。

2011年7月21日木曜日

Patience

ペイシャンス
オックスフォード辞書には

the ability to spend a lot of time doing something difficult that needs a lot of attention and effort: とあり例として
◇例文1 It takes time and patience to photograph wildlife.
◇例文2   I don’t have the patience to do jigsaw puzzles.

日本語では我慢とか忍耐と訳されることが多いですね。

今の世の中、あらゆるものがものすごいスピードで動いていて、皆それに巻き込まれてしまっています。
電車が少し遅れたりすると大変。レストランで注文したものがなかなか出てこないと評判が悪くなる。車はスピードが出るものがもてはやされる。インターネットのスピードもとどまることがないかのようです。

でも、皆 心の片隅で一寸息を抜きたいとか、ゆとりがある生活をしたいと感じているのではないでしょうか?

一本早い電車に乗る。スローフードを楽しむ。日常生活を離れて温泉でゆっくりする。
色々なやり方、自分にあった手法で一寸スピードを落としたら、少し生活が変わると思います。

ペイシャンスは小さな子供やお年寄りと一緒に歩くとき、歩調を合わせることにも似ています。ペイシャンスは買ってきた花のつぼみが開くのを楽しみにすることでもあるでしょう。

大きな災害があったとき、復興が思うように進まないことがありますが、『時』しか解決できないこともあると思います。

忍耐とか我慢を習得するいい機会だと思います。

先日出会った英語の文章を紹介したいと思います。

Patience with others is love.
Patience with self is hope.
Patience with God is faith, since God is patient with us.

2011年7月18日月曜日

生活費が掛かる都市ランキング

エコノミスト・インテリジェンス・ユニットという調査会社が2011年6月版を発表。

それによると1位は東京、2位はノールウェーのオスロ、3位に大阪・神戸が入賞。
このランキングの6位がシドニーで、メルボルンはなんと7位。

オーストラリアの都市が上位に入っているのは豪ドルが米ドルに対して非常に強くなっていることが主な要因だそうだ。

ここに暮らしてると余り実感はないが…

http://gigazine.net/news/20110711_most_expensive_cities/

2011年7月14日木曜日

7月13日読売新聞記事

玄海町の原子力発電所を再稼動させるかどうかに関する記事が出ていた。

玄海原発、やらせメールで賛否逆転…県民説明会

玄海原子力発電所2、3号機の再稼働を巡る九州電力の「やらせメール」問題で、九電本社の指示に従って国主催の佐賀県民向け説明会に賛成意見を投稿した人数が、130人を上回ることが13日、九電の内部調査でわかった。
 「やらせ」がメールやファクスで寄せられた賛成意見(286件)の半数近くを占め、これらがなければ、反対(163件)が賛成を上回っていたことになる。九電は調査報告書にまとめ、14日、経済産業省に提出する予定。

説明会は6月26日、ケーブルテレビやインターネットで生中継された。県民からの意見や質問は25日から募集し、番組の中でも一部紹介された。経産省によると、再稼働への賛成意見はメールが226件、ファクスが60件。反対意見はメールが119件、ファクスが44件だった。

(2011年7月13日14時31分  読売新聞)


この記事では「九電の内部調査によると」賛成投稿数が130以上あり、これらを除くと反対意見のほうが多かった と言うことになっている。


九電の発表が信頼できるものだったからなのかもしれないが、賛成意見の内、九電関係以外のものが信頼できるものなのかどうかの検証がなされていないような気がする。


玄海町長の弟が社長の建設会社は九電から工事を請け負っていたという話だからね。

2011年7月12日火曜日

ドアーの開き方

この間日本に帰って自宅のドアーを開けようとしたら、開かない。無意識の内にドアーを推していた。一瞬何が起こったのか分からず、鍵が壊れてしまったのかと思った。

落ち着いて考えてみたら、日本のドアーは外開きなのだね。多分玄関のスペースを最大限有効利用するために外開きになっているのだろう。

オーストラリアのドアーは内開きで誰かが来たら家の人がイラッシャイと言って中に開く。あるいは買い物をもって帰ってきたとき、鍵を挿し込んで押すとドアーが中に向かって開く。

たくさんの国の例を知っているわけではないが、外から内に向かって開く方式を採用している国が多いような気がするなぁ。

2011年7月11日月曜日

寛容性

本当は無題という題にしようかとも思ったんだけど。

一昨年2月メルボルン近郊で大規模なブッシュ・ファイア(便宜的に山火事と訳す場合もあるが平原にある林などの火事)が起こり、150人以上の方が亡くなられたほか、家屋や車両も多くの被害を受けた。

この火事を調査していた委員会が最近になって「放火の疑いで逮捕されていた人が、その嫌疑が晴れて釈放された」という発表をした。

この発表を受けた火事の被害者の方が「犯人が見つからなくてよかった。自然災害だということがわかって、誰も糾弾しなくて済んだから。」というコメントを出された。

翻って、日本では当時小学5年生だった男児の蹴ったサッカーボールが校庭のフェンスも越えて道路に出てしまったため80歳のオートバイの男性が転倒し1年半後に亡くなったという事件。
判決は男児に過失があったということになった。
亡くなられた方の遺族としては、その悲しみを何処かにぶつけたいのだろうし、僕も新聞記事だけしか読んでいないので真相はわからないが…。

極端な二つの例を出してしまったが、寛容性という点では正反対の事件であった。

ちなみに英語には He was at the wrong place at the wrong time という言い方があり、不可抗力だから仕方がない、というふうに考えるようです。

2011年7月9日土曜日

LとR

このテーマは以前どっかに書いたことがあるので、それを読んだ人は無視してください。

日本人の英語の欠点の一つはLとRの発音がゴッチャになってしまうことでしょう。
リストと書いてもlistなのかwristなのか判らない。ローに至ってはlaw, low, raw, rowと4つもある。これは英語側に問題があると行っても始まらない。

学校でも新聞でもLとRを意識して使い分けてはいない。

そこで提案。
Rから始まる英単語の表記は前に小さなゥをつける。リスト(list)とゥリスト(wrist)みたいにね。この小さなゥを意識して発音するとRの発音に近くなる。

「小さなゥ」運動を繰り広げたいと思うけど皆さんのご意見はいかがですか?

2011年7月7日木曜日

無線LAN

昨日の新聞にこんなニュースがあった。


 セブン&アイ・ホールディングスは、全国約1万4千店を、スマートフォン(多機能携帯電話)やパソコンからインターネットに接続できる無線LANスポットにする。10月に東京23区で始め、13年度には全国に広げて来客増につなげる考えだ。
 6日発表した。名称は「セブンスポット」。セブン―イレブンやイトーヨーカ堂、そごう・西武、デニーズで実施する。まずは東京23区の約1300店で開始。12年度には東日本の約8700店に。その後、西日本地域にも広げる。
 NTTグループと協力し、店に光ファイバー回線を引く。店ごとのおすすめ情報もダウンロードできるようにする。NTTなどと無線LANの使用契約を結んでいない顧客も、登録すれば制限時間付きで無料で使えるようにする方向だ。
日本では僕の知る限りスター・バックスが無料でWi-Fi環境を提供している。(もし外にあったら教えてください)
一年のうち数ヶ月しか日本に滞在しないし、料金も決して安くないので無線LANの契約をするのを躊躇っている。そのため無線LANが拡大することは大賛成。
先日立ち寄ったマレーシアの首都クアラ・ルンプールでは無料の無線LAN(無銭LANというべきか)スポットが各所にあった。
NTTあたりももう少し太っ腹になるといいな。

2011年7月5日火曜日

ニッキョーソ

約一ヶ月日本へ行っていたため更新ができませんでした。

日本滞在中甥っ子と会って食事をしたんだけどその中で「僕、ニッキョーソの組合員なんです。」という話が出た。

彼は教員でも何でもなくて、ごくフツーのサラリーマン。で、どうして?って聞いたら

日本恐妻家組合 のメンバーで、職場の上司と二人で始めたんだって。

で、その場で僕もめでたく(?)ニッキョーソ・メルボルン支部の名誉支部長に任命され、就任の儀式をニギニギしく執り行なったという次第。

2011年6月8日水曜日

七つの社会的罪

インド独立のきっかけを作ったGandhiが「Seven Social Sins七つの社会的な罪」を掲げています。
下に掲げたのがそうですが、日本で使われている訳は適切では無いと思います。右側が拙訳。

 Politics without Principle 理念なき政治      道徳規範を無視した政治
 Wealth without Work 労働なき富       努力せずに得る富
 Pleasure without Conscience 良心なき快楽   自制が効かない快楽追求
 Knowledge without Character 人格なき学識    独創性のない学識
 Commerce without Morality 道徳なき商業       行動規範なしに行う商業活動
 Science without Humanity 人間性なき科学     人間性を無視した科学
 Worship without Sacrifice 献身なき信仰           自己犠牲が伴わない信仰

現代日本社会ではこのうちの大部分が当てはまるのではないでしょうか。
政治と商業ではprincipleと moralityという単語が使われていますが本来の意味は両方共「よって立つ基準になるもの」という意味です。政治家も経営者も他の人間を引っ張ってゆくためには規範が必要でしょう。
今の政界や財界にこうした資質を備えた人がどのくらいいるのか、考えると恐ろしく、また虚しく感じます。
ただ残念なことに、この傾向は何も日本だけではないということです。他の国がそうだから日本だって良いじゃん」というのはまさに規範・基準が無いことを現しています。

利益だけを追求する大会社、などというものは早晩その報いを受けることになると思います。

皆さんはどう思われますか?

2011年6月4日土曜日

Podcast出演

「ポッド・キャスト」って聞いたことがある方も多いでしょう。インターネットを使った新しい情報の発信方法で、iTunesというアプリーケーションが入っているコンピューターであれば、様々なソースに登録すれば共通の趣味を持った人たちが発信する情報を、ほとんどの場合ただでダウンロードして、聴いたり見たりすることができる。

蛇足だけどiTunes Uというのもあって、これは世界各国の大学の講義を視聴できる。昨年話題になったサンデル教授のJustice(正義)もHarvard University の iTunes Uからダウンロードできる。

さて、数あるpodcastの一つに「世界直送インタビュー」というのがあって、海外在住者の話を聞くというもの。
URLは
http://www.sekaityokusou.com/

先日この番組に出てしまい、メルボルンやオーストラリアのことを色々話させていただきました。
毎週木曜日更新で第一回目が6月2日、あと9日と16日の三回に分けて発信の予定です。
聴いてみてくださいね。

2011年5月30日月曜日

暇つぶしに

物を書くときには普段はボールペンやローラーボールを使っている。
また時には万年筆(!古い言い方だなぁ)を引っ張りだして使うこともある。

今日は暇だったので家の中にある、もう何年も使っていない鉛筆を持って来てナイフで削ってみた。

どういう訳かステッドラーの鉛筆が多い。
上から三番目のやつはJISマークが入っているから日本製だと思うがメーカーが不明。
その下は三菱のユニ。
下の二本は木が堅く、やや削りにくかった。

削っている間、何も考えず、きれいな形に整え、芯を尖らせることだけに集中した。

六本を削り終わった後、ミョウな満足感 達成感があった。

2011年5月28日土曜日

より良い暮らし指数

5月の24日だかにO E C Dが「より良い暮らし指数」を発表したという記事が載っていた。
http://jp.ibtimes.com/articles/18909/20110524/392626.htm
原文(英語)はこちら。
http://www.oecdbetterlifeindex.org/

これは従来のGDPなど経済指数だけでは表されない指標も含めて各国の状況を比較してみようと言うもの。

家屋、収入、就業率、地域生活、教育、環境、ガバナンス、健康、生活満足度、安全、労働ー娯楽バランスの11項目についてそれぞれ花びらに見立てて比較している。

日本は「教育」と「安全」の面で優れているが、「収入」「労働ー娯楽バランス」「生活満足度」などの面では良い点がついていない項目もある。

経済面だけで判断する時代ではなくなって来たのかなぁ。

2011年3月14日月曜日

「原発がどんなものか知ってほしい」

これは1997年に亡くなった平井憲夫さんという、原発の施工に携わった方が書かれたレポートです。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html#about

平井さんが書かれたことに対する感じ方は皆さん一人ひとり違うと思いますし、書かれている事の真偽は私には確かめる術がありません。

ただ色々なことを考えていただけるきっかけになればと思います。

未曽有の災害の時に

というタイトルで内田樹さんという方が、皆がどのように振舞うべきか落ちうことについて考えを述べておられる。

http://blog.tatsuru.com/2011/03/13_1020.php

この中でまず「寛容」を挙げ、このような状況の時にネガティブな発言をすべきでないと言っているが、全くそのとおりだと思う。
重箱の隅をつつくようなことをいって、あるいはして物事が前に進むのを阻害している輩は猛省すべきだと思う。

東電の、あるいはJR東の「手際の悪さ」を指摘して得々としているようなマスメディアは国賊である。

今は皆が協力して、被災者の救助、支援を行い、次に復興に向けた活動をするときであって、不手際を追求するときではない。

2011年3月10日木曜日

ベーシック英語

英語はある意味で日本語によく似ています。ヨーロッパの西の小さな島国の言葉で、一時期使っている人数が数十万人だったこともある言語が今や国際共通語として使われるようになった背景にはその柔軟性と外来語をも受容する寛容性にあると思います。
綺麗な英語を話すには大変な努力が必要ですが、旅人が行く先々で買い物をするくらいであれば簡単な単語を並べるだけでも意思の疎通が図れます。
1930年ころCharles Kay Ogdenという学者が「基本的な英語というものは850の単語を覚えさえすれば習得できる」という説を立てました。無論この方法ですと無味乾燥な、事実や意思だけを伝えるものとなってしまいますが。
このオグデンが例として取り上げたのは、英語圏で格調高い演説の一つとして知られるリンカーンのゲティスバーグ・アドレスです。
まずリンカーンの演説を掲げますので出来れば声に出して読んでみてください。

Fourscore and seven years ago our fathers brought forth upon this continent a new nation, conceived in liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal. Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field as a final resting-place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this. But in a larger sense we cannot dedicate, we cannot consecrate, we cannot hallow this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it far above our power to add or detract. The world will little note nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us, the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us; that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion; that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain; that this nation, under God, shall have a new birth of freedom; and that government of the people, by the people, and for the people, shall not perish from the earth.

最後の二行に有名な「人民の、人民による、人民のための政治」が出てきます。
さてこれをベーシック英語にしてみるとこうなります。

Seven and eighty years have gone by from the day when our fathers gave to this land a new nation—a nation which came to birth in the thought that all men are free, a nation given up to the idea that all men are equal. Now we are fighting in a great war among ourselves, testing if that nation, or any nation of such a birth and with such a history, is able long to keep united. We are together on the field of a great event in that war. We have come to give a part of that field as a last resting-place for those who went to their death so that that nation might go on living. It is in every way right and natural for us to do this. But in a wider sense we have no power to make this place an offering in their name, to give any mark of our respect, any sign of our belief. Those men, living and dead, who had no fear in the fight, have given it a name far greater than our poor power to make additions or to take away. The future will take little note of what we say here; will not long keep it in mind. But what they did here will never go from memory. It is for us, the living, to give ourselves here to the work which is not ended, which they who were in the fight have taken forward to this point so well. It is for us to give ourselves here to the great work which is still before us, so that from these dead who are in our hearts we may take an increased love of the cause for which they gave the last full measure of their love; so that we may here come to the high decision that these dead will not have given themselves to no purpose; so that this nation, under the Father of All, may have a new birth in the hope to be free; and so that government of all, by all, and for all, may not come to an end on the earth.

どちらが良いかということではなく、こういう英語もあり得るということです。

2011年3月9日水曜日

大学入試と携帯、前原外相辞任、迷惑座りできない座席

過去数週間にニュースで取り上げられた話題を三題噺風にタイトルをつけてみました。


大学入試で携帯電話を使って回答を得ようとした行為は無論「良くないこと」であります。がその後のマスコミの姿勢は首をかしげたくなる。「社会の木鐸」をもって任じているならば一流紙としてある事件を取り上げるか否か、取り上げた事件をどのように報道するか、という責任があると思う。前代未聞、あってはならないこと、という切り口だけでは事態はよくならい。
ルールを決めて、それを守らないことは悪いこととして糾弾する前に、そのルールがどのように決まったのか、現時点でもそのルールの有効性があるのかを取り上げるべきだと思う。

日本は法治国家であることを標榜しているが、すべて法律に照らして判断する事が可能なのか?暗黙の了解、不文律、社会通念、あるいは常識が法律に先行すべきではないだろうか。

前原外相が「違法な献金をうけとった」ので自ら辞任を申し出たという。ものすごい金額なのかと思ったら全部で20万円程度だという。自らが判断して辞任したのだから、僕がとやかくいうことではないが、国外から見ていると「何で?」と思ってしまう。

マスコミが悪いのか国民性なのか分からないが、不寛容、付和雷同性、根本を見つめ直さないで表層的に判断をする、徹底した議論を避けたがる、と言う傾向が見られると思う。

起こった事象の原因や経過を調べるのは大変だし、時間がかかる。

だからといって対処療法的な解決だけではいくら「今後かかかることが無いよう再発防止に努めます」といっても「再発」する。

で、最後の迷惑座りができないようにする電車の座席、こんなモノが必要がないように「迷惑座りするのは格好悪い」と新聞あたりが大々的なキャンペーンをしないかな。

2011年2月23日水曜日

住みやすい都市

ロイター社の記事に世界の住みやすい都市ランキングというのが出ていた。
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-19641720110221


これは英誌エコノミストの調査部門エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)がまとめた世界で最も住みやすい都市ランキングで、カナダのバンクーバーが5年連続で1位になった。

 EIUは世界の140都市を対象に、治安状況や医療サービス、文化、環境、教育などの30項目を基に「住みやすさ」を数値化して比較した物で、アジアでは大阪が12位、東京が18位なのだそうだ。


東京と大阪の順位だけから判断するのは間違いかもしれないが、どのような基準なのかやや疑問がナシとしない。
従ってメルボルンの2位というのも恣意的なものである可能性はある。


しかし住んでいる者の実感として暮らしやすい街であることは間違いない。勿論地区によっては治安があまりよくない場所もあるが、概して安全な街である。


メルボルンはよくレストランとカフェの街と言われるが、様々な国の料理を比較的気軽に楽しむことができる。


世界の各都市の中心部から半径30Kmの円に中に含まれるゴルフ場の数はメルボルンが断トツなのだそうだ。


欠点といえば天候だけかなぁ。

2011年2月17日木曜日

豪雨

先週の金曜日、メルボルンは大量の雨に襲われた。
つい1年ほど前まで渇水で庭木の水やりも週2回、それも朝と夕方の2時間ずつだけに制限されていたのに。

昨日久しぶりに家から一晩近いゴルフ場へいったところ、サイクリング・ロードに沿って設置されていたフェンスの一部が倒れていたし、コースの隣を流れているクリークに架かっていた小さな歩行者用の橋が流されて、通行止めになっていた。

水の力のものすごさに驚いた。

こっちの雨の振り方は、普段だと叩きつけるような勢いで降るものの暫くするとさっと上がって太陽が覗いたりする。

こんな調子だから外に出してあった洗濯物も取り込む前にびしょびしょになってしまうし、取り込んだと思ったらお日様が出てくるので始末が悪い。
となりのおばさんなんて、どーせ止むんだからと、取り込みさえしないことがある。

でも先週末の雨はすごかった。

豪州で降る雨のことを豪雨と言うんじゃないか?

2011年2月14日月曜日

外国語のカタカナ表記

次の外国語はどう発音するのでしょうか?まぁ本来外国語の単語をカタカナ表記する事自体問題なしとしないのでありますが…。
1.  shake
2.  Oceania
3.  post
4.  strike
5.  concierge

1番はシェイクが近いと思うのですが、この前にmilkがくっつくってぇと突然セーキになってしまう。
2番。日本でオセアニアと習ったもんだからこっちに来たときにはやや問題があった。近い発音はオシェアニア。語源はoceanでこれは皆オーシャンと発音しているでしょ?
次3番。何を今更と思った方、多いのでは?近い発音はポウスト。念のため辞書で発音記号を見てみてください。
4番。野球の時はストライクっていうのに労働争議の時になると突然”ストライキ”ってなるのはなぜ?
最後5番。ホテルにいて色々と世話を焼いてくれる人。ホテルによっては立派な制服を着ているので気後れしがちですが色々教えてもらいましょう。
さて。一番近い発音はコンスィエージュ。

こう言う発音の表記は誰がどうやって決めるんだろうか?新聞協会あたりなのかな?

2011年1月21日金曜日

マレーシア・日本・シンガポール

 12月中旬から約一ヶ月、タイトルのような旅をしていたのでこのブログの更新ができなかった。
今年9月、息子のフィアンセを通して日本往復の航空券を手配したところ、マレーシア航空を利用することになった。クアラ・ルンプールで4日ほどゆっくりしたらと言って息子たちがホテルを手配してくれた。
僕は10年ほど前、観光地のランカウイ島で行われた国際会議に出席したことがあるが、奥さんは始めてのマレーシア。僕にとっても始めてのKLだった。雰囲気としては隣国シンガポールに似ている(かつては一緒の国だったんだそうだ)が、シティセンターは開発中で、至る所ビル建築が行われていた。ただ、道路のあちこちが隆起もしくは陥没しており、気を付けて歩かないとヘタをすると足を挫いてしまいそうになる。
中心部にあるショッピング・センターは新たらしくキラキラ輝いていてまるで表参道のような感じだった。南国とあって12月20日ころでも全く寒さをかんぜず、通りは夜遅くまで賑わっていた。
4日間はあっという間に過ぎ去ってしまい、成田に降り立ったら完全に冬。慌ててスーツケースからコートを出して着こむ。
今回日本に来た目的は、メルボルンの高校で日本語教師をしている娘が日本の様々な事柄を実際に肌で感じるため休職をして1年間横浜の実家に滞在していたのだが、1月中旬にメルボルンに戻ることとなったが、その引越の手伝いや、後片付けのためというのが主なものであった。加えて息子はフィアンセに日本のあちこちを見せたいということで一緒にやってきたので家の中は大騒ぎ。
でも久しぶりに寒いクリスマスと、伝統的なお正月を過ごすことができた。
南半球のクリスマスと新年てぇものは暑くていけませんな。ピリっとしたところがない。
NHKの紅白のあとの「ゆく年くる年」で雪の降り積もったお寺の除夜の鐘を聞かないとどうも歳が改まったような感じがしない。子供たちもその連れ合いも日本の正統な正月を味わうことができたと喜んでいた。
帰りは安い航空券を探していたところ大阪・関空発シンガポール経由メルボルンというのを入手したのでシンガポールで途中下車をして、カトンラクサを食べてきた。