2011年9月19日月曜日

自殺

今日は気の重い話題です。


JR北海道社長が入水自殺し、北海道知事が「北海道新幹線の新青森-新函館の開業を間近にしながら、共に喜びを分かち合うことができなくなり、誠に残念で、悲しみに堪えない。ご冥福をお祈りする」とコメントした。(9月18日付け産経新聞記事)
死者に鞭打つようなことを言えないからこのようなコメントになったと推測する。


ここ数年日本の自殺者数は毎年3万人を超えているという発表がある。一方で変死者数は15万人であり、その半数が自殺ではないかとみられているという。これは検視官が絶対的に不足しているため、2割程度しか解剖が出来ないためだそうだ。
仮に変死者の半数が自殺だとすると10万人以上が自殺していることになる。


3月に起きた東日本大震災で亡くなられた方と行方不明者は約2万4千人だから「自殺者」だけでこの数字を上回っている。


「自殺」とは自らを殺すことであるから一種の殺人であるが、日本では失敗などの責任を取るためとか、名誉を守るためという事で容認されている。
これはあとに残された家族や会社の同僚のことを全く考えに入れていない考え方である。事実、一家の大黒柱の自殺により一層困窮した家族も沢山ある。


JR北海道社長の遺書にも「真っ先に戦線離脱して済まない」と書いてあったという。
しかし、戦線離脱は軍隊では最も卑怯な行為であり、その影響が広がるのを抑えるため極刑に処した。

「失敗」は誰にでも起きうるものであり、その原因や経過は様々であろう。自殺しようまで思いつめるには相当な時間がかかるだろうし、実際に自殺するためには相当の意志力というエネルギーを必要とする。

人をそこまで追い詰めてしまう理由の一つがセカンド・チャンスを与えない、という社会的な傾向があるのだと思う。

怠惰で失敗した人は面倒くさくて自殺しないだろう。
真面目な人ほど失敗を「重く受け止め」てしまう。




3 件のコメント:

ポッサム さんのコメント...

自ら命を絶ってしまった身内や友人などを持つ人は「自分で殺す」の略語「自殺」という言葉を使うのがあまりにも辛いため「自ら死んでしまった」の「自死」という言葉を使います。

うつ病関連でこういった道を選んでしまう人の場合、少し起き上れる力が戻ってきたときに限ってこういう行動をとってしまいがちだと一部では言われています。

話はブログの内容に戻りますが「セカンドチャンス」の非常に少ない日本、そして、「侍の責任をとる?」といった意味での自死がある日本では非常にこういった辛い亡くなり方は後を絶たないと思います。

勿論、こういった結末を選んでしまった人も、もう、四面楚歌といった状態なのだとは思います。ですが、残された人はその後、長く長く続く重荷を背をうことにもなります。
そういった意味で考えると「自死」は自分だけを殺してしまうのではなく、残された大切な人、友人の心まで「殺してしまうんです」

どれだけ「あなた」は愛され、どれだけ「必要」とされているかを伝え、チャンスを与える「心の余裕」がもっと、もっと、人の心の中に増えて欲しいとせつに願ます。

ポッサム さんのコメント...

自ら命を絶ってしまった身内や友人などを持つ人は「自分で殺す」の略語「自殺」という言葉を使うのがあまりにも辛いため「自ら死んでしまった」の「自死」という言葉を使います。

うつ病関連でこういった道を選んでしまう人の場合、少し起き上れる力が戻ってきたときに限ってこういう行動をとってしまいがちだと一部では言われています。

話はブログの内容に戻りますが「セカンドチャンス」の非常に少ない日本、そして、「侍の責任をとる?」といった意味での自死がある日本では非常にこういった辛い亡くなり方は後を絶たないと思います。

勿論、こういった結末を選んでしまった人も、もう、四面楚歌といった状態なのだとは思います。ですが、残された人はその後、長く長く続く重荷を背をうことにもなります。
そういった意味で考えると「自死」は自分だけを殺してしまうのではなく、残された大切な人、友人の心まで「殺してしまうんです」

どれだけ「あなた」は愛され、どれだけ「必要」とされているかを伝え、チャンスを与える「心の余裕」がもっと、もっと、人の心の中に増えて欲しいとせつに願ます。

匿名 さんのコメント...

http://ht.ly/7NlBg
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/news/1322505767/212-214

です。