2011年8月30日火曜日

公平・不公平 あるいは 平等・不平等

世の中には常に不平や不満を言っている人がいる。自分だけなぜ?とかあの人が羨ましいだとか言い続けている人がいる。

自分に無い物を欲しがる、あるいはねだることによってそのものが手に入るのだろうか?

このような人にとって平等あるいは公平というのはどういう状態を指すのだろうか?

仮にみんなが同じ顔つき、同じ体格、同じ性格等々であったとしたら、非常につまらない世界になってしまうだろう。個性なんていうものも取りざたされない。

与えられた物・資質・容貌などは変えることが出来ないのだから、変えようとするだけ無駄である。

「吾唯足るを知る」という言葉が古いお寺の蹲踞に彫られているそうで、禅の教えの一つだそうだ。

人生ゲームというゲームがあり、配られた手を使ってどうにか「上がり」に持って行く。時には悪い手が配られるかもしれず、それでも知恵を絞って少しでも高い点に持って行く努力をする。

ゲームでそれをする人が実際の生活の中では文句を言うのは何故なんだろうか?


2 件のコメント:

サイクルおじさん さんのコメント...

本当におっしゃるとおりだと思います。
私は常々、幸福とは満足すること、不幸とは羨むことだと思っています。そのためにレベルを下げる必要はありません。よくなりたいと思う向上心は、幸せに生きるためには大事なもです。
自分自身を含め、世の中のほとんどの事柄は変えられませんが、そのことをどう捉えるかという自分の考え方は変えることができますよね。変えられるものは変え、変えられないものは受け入れていきたいですね。

Unknown さんのコメント...

サイクルおじさん
コメント有難う御座いました。
「変えられないものを変えようとするのは無駄である」というのはおじさんからの受け売りです。

足るを知るということが大切ですが、今の日本は物欲を刺激することだけに専念しているように見えますね。

ヤドカリは身にあった貝殻を探すそうですから、その点では身の程を知っている、と言えそうですね。